荘子と恵子、無用の用

盲腸や親知らず、現代医学ではその有用性が見出せず、取り除くことが良しとされている。これは医学の世界に限った話ではなく、現代人の思想を反映するひとつのたとえにしか過ぎない。とにかくいまのひとは、無用と思われるものを徹底的に抹殺している。しかし、先人には知恵がった。道教の始祖の一人とされる人物、荘子が当時の詭弁家、恵子を論破する時に使われた、無用の用 を例に取り、その大切さを説明しよう。恵子が荘子の理論を、世の中の役に立たないと切り出す。すると荘子が、「大地は広大だが、人間が使っているのは足で踏んでいる部分だけである。だからといって、足が踏んでいる土地だけを残して周囲を黄泉まで掘り下げたとしたら、人はそれでもその土地を有用だと言うだろうか?」 そういわれた恵子は、「もちろん、そんなものは役に立たない」と認める。どうですか、無用の用、理解できただろうか?無用と思われるものにも、要は 用 があるということ。この世に無用なものは存在しない。本当に無用であれば存在すらしていない。つまり、この世のすべてのものは、用 があるから存在していると言うことになります。存在価値が見出せずに自暴自棄になったり、最悪自殺に走ったりする人が増えていますが。すべてのひとには用があり、いま不用と思われていても、いつかは役に立つ存在なのです。ただ 生きていれば、その答えがいずれ見つかるでしょう。
