裸の羞恥心は、欧米人が持ち込んだもの?

百五十年前、日本にやってきたペリー艦隊の一行を最もおどろかせたものが、伊豆下田公衆浴場の混浴風景だったことはよく知られている。キリスト教を基盤とする欧米人の風習やモラルから見れば、公共の場で男女ともに異性の前で平然と裸をさらけ出すような光景は、世界観を揺るがすほどの衝撃だった(「第一章 この国に羞恥心はないのか!?」)。随行画家により描かれたこのスケッチは彼らの遠征記を飾り、十九世紀の欧米社会に流布した。以上は「裸はいつから恥ずかしくなったか-日本人の羞恥心」の書評からの抜粋です。著者である中野明氏は、裸でいることはごく自然な習慣だった日本人だが、やがて外国人の度重なる好奇に満ちたまなざしにより、街頭から裸体が消えていき、さらに、混浴は不道徳だ、という外国人の批判を受けて、明治新政府が男女入り込み湯禁止、裸体禁止令を布告したことで、急速に裸は恥ずかしい、みだらであるとの観念が広まっていった、と考えていますが、本当にそうでしょうか? 以前、アメリカの大学で女子学生がシャワーの後、遊びに来ている男子学生がいるにもかかわらず、彼らの前を全裸で平気に歩く姿を目にしたことがあります。また、ヨーロッパでホテルのサウナに入っていると若くてスタイル抜群の美人がどこも隠すことなく同じサウナに全裸で入ってきて、大事なところをタオルで隠しているこちらの方が恥ずかしい思いをしたことがあります。しかし、欧米人がよく見る悪夢の一つに、会社の上司や同僚さらには新人の後輩の前で全裸で立ちつくすというものがあります。では、いったい裸の羞恥心とはなんでしょうか?カリフォルニア大学心理学部教授 Dan Fessler によれば、裸を異性に見せる行為が 相手を性的に誘う行為 とみなされた場合、何千という人類の世代を経て受け継ぎられてきた夫婦間または社会の 約束事に反する行為 となり、そして、羞恥心とは他人や社会から期待されていることに失敗したことが他人に知られたときに湧いてくる感情であり、つまり、この二つが結ぶ付くことによって、特定の状況で裸を見せることは恥ずかしいこと、となるそうです。その教授の言うことが正しいとすれば、銭湯で裸を見せることは極自然な行為で相手を誘う行為ではないことから、日本人の裸に対する羞恥心はペリーが渡来する前から存在したと考えるのが妥当ではないでしょうか。
